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今月の表紙 アニマルシリーズ『ハワイのにわとり』 Photo:Hiroshi KOIKE
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『音楽の情景または
レコード棚の記憶から』

マイルス・デイビス(3)



『ハワイシリーズ』
〜 石積み編 〜

小池博史ミュージックコレクションの中から選択した曲もしくはアーティストについてのエッセイ。 単なる音楽批評ではなく、情景をも喚起させる、演出家ならではの考察。

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『音楽の情景またはレコード棚の記憶から』 vol.27

 マイルス・デイビス(3)「マイルスの才能」

  ウーム。
 延々マイルスになってしまいそうだ。前回もマイルスの「On the Corner」を書こうとして、改めて聴きだしたら、やっぱりスゲエと胸掻きむしられ、聴き入ってしまい、そのときやっていた調布の市民ワークショップに影響が出てしまったのであった。

 前回、プリンスのことに少しだけ触れた。触れたがゆえに、プリンスも何枚か聴き直してみた。素晴らしい。けれど、やっぱりマイルスはさらにさらに上を行く。マイルスは音楽界のピカソである。だから、マイルスは書いても書いても書くことは次々と出てきてしまう。

 人間は限界を持つ。ゆえに少しだけ開拓し、次は極める方向へと走っていく。もちろん極めるのは容易なことではない。磨き込み、ビカビカと光を放っていく過程では艱難辛苦を味わうに違いない。とは言え、極論すれば、それは、精進と忍耐があればなんとかなると乱暴だが、言いたくなる。しかし、開拓を延々と続けるのは、それよりも遙かにシンドイ作業だ。自分自身を常に飽き足らない状態にしておかねばならないからだ。人は年を取って、当たり前の、普通の人となっていく。なぜ普通になるのか?ひと言で言えば、楽をしたいからである。加えて、年を取った自分に言い訳をしたくなるからである。もう充分だろう、充分貢献しただろう、とついつい自分で自分を慰めるようになっていく。同時に、変わり続けたのでは名声はなかなかやってこない。お金もやってこない。適度に変わり、適度にちょっとだけ、ほんの半歩、人の先を行き、技術的には高い、というのが狭い世間を生きるには正しい選択と思いこむ。実際に、そうだ。その方がずっと楽に生きられるのだ。だから、ほとんどの人々の理想はこんな生き方だろうと思うのである。アーティストも大概はそうだ。大御所と呼ばれて、いい気分になって、他のアーティストの文句を言いながら、批評家然として生き長らえるのである。オレは本当はもっと凄いんだ、と内心ウズウズ思いながら、自分の実績には満足するのである。

 とは言え、マイルスもピカソも充分すぎるくらい充分に名声も金も得ただろう。そうした上でさらに突き進むのは性としか言いようがない。まったくしょうもないくらいの性である。

 だから、僕は彼らに対して強い愛情を持つ。前進を促し続ける内在的な力!トランペットがうまいとか、画がうまいとかそんなことを遙かに超えて、変化し続ける存在としての凄みは魅力に溢れている。彼らの歴史とは、当然、ミスとの闘いばかりだった、と言っても言い過ぎではないだろう。結果的に次々と良いアルバムや画期的な成果を残せたにせよ、過程は泥沼だったに違いない。ミスは起きる。変化を求めれば、必ず、何か予期せぬことが次々と出てくるものだ。その予期せぬマイナスが不断に起こり、それに対して、延々とプラスに転じていく作業を行ない続けるのだから、精神的負担は莫大だろう。周りはミスを怖がる。なぜなら商売に差し障りが出るからである。しかし、ミスは次のステップへの踏み台である。だから、それは危険性と同時に、恍惚感への入り口でもあるのだ。

 しかし、どうであれ、追い求めてしまうのは性ゆえだ。性として、否応なくその入り口に立ってしまうことを欲して止まないのである。
ただし、精神的負担が莫大と感じるのは、一般人の言うことであって、そういう人間は易々とある一線を超えるのかも知れない。飽き足らない自分がいることに満足できないのである。だから、求める。求め続ける。そして、未知の領域に踏み込み続けていくことになる。
 マイルスの変化は以下の通りだ。

1940年代 ビバップの時代
1940年代終わり〜50年代頭 クールの時代
1950年代はじめ〜1950年代半ば過ぎ ハードバップの時代
1950年代終わり〜1960年代頭 モードの時代
1960年代半ば〜1970年代半ば マイルス的リズムの時代
1970年代半ば〜80年 マイルスお休みの時代
1980年代頭〜1989年のマイルスの死まで 時代の先端を行こうとした時代

 こんな風に書いてみて、各時代にすべて、音楽界を代表するアルバムがあることに驚嘆する。いや、ビバップの時代はまだだった。なぜならチャーリーパーカーにくっついて、盗み取りつつ、必死で模索していた10代だったのだ。ところが20代頭ですぐ、ギル・エバンスと一緒に、「Birth of the Cool」というアルバムを作り、一気に開花していく。クールジャズとは、白人ジャズであり、黒い匂いを持ったジャズではなく、クールな感じの良いジャズとして西海岸側で発明され、流行りだしたのだった。マイルスはそのトップの位置に立ったと思った途端、すぐに次に移り、時代はビバップからハードバップへと移った中に飛び込んで、瞬く間にその中のトップへと躍り出てしまう。

 マイルスはスピード狂であった。スポーツはボクシングを好み、車はフェラーリだった。スピードというのは、強烈に自身を活性化させる。僕も昔、ロードバイクやオフロードバイクにも乗っていたからよく分かるが、グングングングン、スピードを上げていくと、自分自身がある一点しかない状態へと入り込んでしまう。一種のトランス状態へと移っていくのである。こんなところで死んだらアホウみたいだな、と微かに思いながらも、全神経はスピードという一点のみに貼り付き、恐怖は燃え立つアドレナリンをさらに高めていく。と、次第にアドレナリンが勝って恐怖は薄れ、死ぬことなどまるで意識から消えていってしまうのである。

 移動し続けるということは、自分自身の内側にアクセラレーターを持って、常にそれを踏み続けているということだ。それを一生、延々と行なうというのは、神経ははち切れんばかりの状態のまま、生き続けるということである。休息など不要とするということでもある。こんなことは、常人にはやっぱり無理なのだ。通常は、精神が保たない。永久トランス機関に耐えうるのは選ばれし者の特権なのだろう。アクセル踏みっぱなしで、疲れるか、と問われたら、たぶん疲れねえよ、と言ってくるに決まっている。なぜなら、それが生きる糧であるのだから。

 しかし、思うに、時代時代で受け続けるというのは、単に開拓する力があるというには留まらないはずだ。先天的に備わった時代の空気を読む力がなければ無理だろう。力量あるアーティストはそれなりにたくさんいるが、時代と寝るアーティストもいれば、寝たくても距離を置かれてしまう人、そして、距離を置きたい人もいるものだ。そんな人になかなか時代は味方してくれない。売れるというのは、結果、そうだっただけではない。時代を読む才能があったと見るべきである。マイルスの場合も同様で、時代にピタリと嵌った人物であったと同時に、読み続ける力も優れていた。それは音楽全体を読むと同時に、二歩先んじる力である。遙か彼方にいたのでは、売れるものも売れない。だから、売れると判断した有能プロデューサーが付いてきたのである。

 ゆえに、マイルスはフリージャズの突風の中にだけは入り込まなかったのかも知れないと思わぬでもない。そもそも、決して前衛アーティストではなく、どちらかと言えば古典的な音楽家だろう。フリーは時代の先端であっても、売れるというのには遠い。商売人的マイルスのお眼鏡にはかなわなかった、あるいは、マイルス自身のトランペットの音はフリーには向かないと判断したのかも知れない。そこで、彼が興味を持ったのは「構造」転換だったのではないか。そこに彼は自身の音楽的才能と共に商才を見いだしたのだ。無意識かも知れないが、やり手商人は最先端音楽家として、次々と新しく打ち出したマイルス商標を手に入れていったのである。純粋に音楽的指向だったとしても、結果的にはそうなっていったのである。

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小池博史撮り下ろしフォト作品より。
空間に対する独自の視点と鋭い反射神経で、瞬間を捉える才能を発揮。優れたスナップシューターと評価されている。

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 ハワイシリーズ
〜 石積み編 〜
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小池博史 総合表現ワークショップ
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■日時:2009年9月12日(土)、13日(日)
10:00〜13:00(両日とも)
■受講料:2日間通し 7,000円 
■対象:高校生以上(2日とも参加可能な方、先着順)
■内容:「身体」を目覚めさせるきっかけになる、と毎回大好評のワークショップ。最終回の小さな作品発表に向けて、身体を動かしてゆきます。時間に身を委ねる、声を出す、体を動かす。よく見て深く感じてゆけば、全く違う新しい自分が見えてくるはず。演出家/小池博史が一般の方向けに直接指導をする数少ない機会です。お見逃しなく!
■会場:スタジオサイ 東京都中野区新井1-1-5-1F
■持ち物:運動着・タオル・飲み物

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発行・H island編集 大久保有花