今月の表紙 アニマルシリーズ『フィリピンの犬』 Photo:Hiroshi KOIKE
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『音楽の情景または
レコード棚の記憶から』

フェイルーズを聴く



『バリシリーズ』
〜 仮面編 〜

小池博史ミュージックコレクションの中から選択した曲もしくはアーティストについてのエッセイ。 単なる音楽批評ではなく、情景をも喚起させる、演出家ならではの考察。

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『音楽の情景またはレコード棚の記憶から』 vol.32

フェイルーズを聴く

 今でもまだ、ワールドミュージックという言葉は一般的なのだろうか?ワールドミュージックは、いわゆる第三世界の音楽がパリを経由して、名付けられた音楽と言えるだろう。その前は、ワールドミュージックなんて洒落た名前ではなく、民族音楽と総称された音楽群であった。

 僕は昔から民族音楽、つまり世界中の音楽が好きだった。日本の歌謡曲もアメリカン音楽もイングランド音楽もなんでも来いだった。ポップスだって、ロックだって、フォークだって何でも良かった。世界にはこんな音楽があるのだと昔々は小泉文夫さんがやっていた「世界の民族音楽」だったかな、そういうタイトルのラジオ番組があって、それにはときどきかじり付くように聴いていた。

 とは言え、文化認識、いや教育とは面白いというか、恐いもので、韓国や中国の音楽は聴くのも嫌だった。なぜなら、やはり中国は中国共産主義を思わせたし、かつ、中国も韓国も日本の属国的な認識がまだまだ近隣の人々には根付いていて、まだ僕の子供の頃は差別的に扱っている人たちが圧倒的に多かったから、そんなものかと疑いもせず信じ込んでいたのだった。中国なんて、韓国なんて、と理由なく差別することの意味を考えるまでもなく、劣等と頭の中に刷り込まれた。だから、当然、音楽だって劣っているものと勝手に信じ込んだ。もちろん、聴こうとさえしなかった。こういう状態は、はっきりとは覚えていないのだが、高校の1,2年生くらいまでは続いていたと思う。拍車をかけたのは、僕が中学の時の列車通学ゆえだった。その一番後ろの車両に乗っていた朝鮮学校の生徒たちにはいろいろな噂があって、たとえば、最後尾の車両に踏み入れようものならボコボコにされるとか、金を巻き上げられるとか。僕は直接的には何をされたわけでもないのに、勝手に恐ろしい奴らと信じ込み、また、彼らの住まいは豪華であるか、一方では貧困きわまりなかったかのどちらかであって、豪華なのは裏で何をしているか分からない人たちであり、貧困なのは当然の劣等的であるから当然だ、というような話をみんながしていたのだから、何も知らない僕はただ信じただけだった。

 そういう自分であっただけに、あるときから強烈なほど、教育の怖さを思い知ったのであった。自分でモノを考えるようになったとき、中国や韓国が劣っているとはとても思えなくなった。それでも刷り込まれた時間はとっても長かったわけだから、そう簡単には拭えるものではなかった。しかし、小学生の頃から理屈で、理屈で、と言ってきた子供だったので、なにゆえにこういうことには、まるで理屈がなかったのか、そこには自分自身を疑うような嫌な感触があった。そもそも理屈なんて、身体に刷り込まれた知識と思いこんだ漠然とした感覚からすれば屁のようなもんだ、だが、それを妙な具合に刷り込まれてしまった自分自身に非常に腹が立ったのが高校生の時であった。

 それから十数年して、台湾のホウシャオシェンやエドワードヤン、中国のチェンカイコーやチャンイーモー・・・などなどの映画を見て、あまりに素晴らしく、そのあたりから一気に中国の見方が変わった。もちろんその前から重々承知してはいたのだけれど、文化、芸術とは本当に強烈なものだと認識したのも、これら映画だった。映画は悲惨なその国の状況を描いていたにせよ、しかし、それだけの芸術家が出てくるのは、その国家的、民族的土壌の厚味ゆえと思わざるを得ない。芸術の凄みとは、国家イメージまで一変させてしまうところにある。すると毛嫌いしていた音楽までがスッと身体に染みいるように入ってくるようになった。自分でも、この強烈な刷り込みを改めて思い知ったのが、この体験であった。

 その頃からだ。本気で世界を知らねばならないと思うようになったのは。中途半端な知識が差別を生み、境界を作っていくと強烈に感じたからだ。
 世界の多くの国々を歩き、いろいろな国々の人々と実際に接するようになると、本当にイメージはあくまでも刷り込まれた知識でしかないということを実感することになった。所詮、知識はそれまでに知った認識でしかないということである。人間はどこへ行っても、実際にはスゴイものを生み出している。もちろん、好き嫌いはあって、スゴイけれど、まあ自分にとってはどうでも良いというものもある。しかし、その中でも芸術性の高いものを見させられると、本当に感激し、その国の見方、感じ方は一変していくものである。

 たとえば、インドネシアの音楽、舞踊は驚くほど繊細であり、力強い。だから、それらを知るまでのインドネシアと知ってからのインドネシアではまるで見え方が違い、キラキラと輝いて感じられるようになっていった。が、しかし、人は経済的な豊かさこそが一番と思いこむ。経済的豊かさは文化的豊かさともイコールというイメージがついて回っている。滑稽なくらいだ。このイメージがしばしば実質化されたりするから、何とも人間とは不思議な生き物だと改めて思うのである。たとえば、昔、タイでは、冷蔵庫は文明の象徴であり、憧れだった。必要もないのに、金が手に入ると冷蔵庫を買った。しかし、彼らは毎日、使い切るだけの食材しか購入しないから中身は空っぽである。それにもかかわらず、冷蔵庫は彼らを満足させた。それが文化的生活だと思いこんだからである。だから、どこの国でも西洋化が進んだ。西洋的価値観が一番と思いこんだ。舞踊はバレエが頂点にあり、その頂点こそが文化的と思ってしまうのもそうだった。


 正月、久しぶりにフェイルーズを聴いた。レバノンの国民的歌手である。知っての通り、レバノンは血にまみれている。レバノンという国のポジションがそうさせる。僕の知っているレバノンは昔、戦争イメージしかなかった。そこにどんな音楽が花開いていたかなどなんの興味もなかったし、音楽のイメージなどまったくなかったと言えるだろう。だが、この国の民はこうして苦悩の中に喜びを見いだし、それどころか、ここまで高度で、魅惑的な音楽を制作していたのだ、と思うと嬉しかった。フェイルーズのCD「愛しのベイルート」をたまたまCDショップで15年くらい前に、ジャケットに惹かれて購入して、その染み渡る深い悲しみと哀切と軽やかさと重さ、そして根底にある明るさに惚れたのだった。それはレバノンの文化を感じた瞬間でもあった。アラブ独特の節回し。連綿と続く時間を想起させる音群。僕はアラブの音で、もちろんイスラムの音と言い換えることもできるが、イスラムの、'とき'がなくなっていくような音が現代的楽器を媒介として、戦火のベイルートを描き込んでいく。その音楽がどれほどレバノンのイメージを高めたか知れない。そしてたぶん、レバノンの、ベイルートの人々に勇気を与え続けたか知れないと思うと泣けてきた。僕にとってはまったく得体の知れなかったレバノン、その首都、ベイルートが一気に憧れとなって飛び込んできたのである。

 こんなことはしょっちゅう起きている。血塗られたアメリカ大陸を演出したスペインであるが、スペイン人のブニュエルやダリやガウディがどれだけ、スペインイメージを高め、スペインの奥行きの深さを感じさせるものとなっているか知れない。一時、凋落したスペインであっても、あれだけの芸術家を排出させる国はただ者ではないと思わせる。
僕たちは、もっと文化とはいかに大切なモノであるかを知る必要があると思うのである。もちろん音楽もまた、非常に重要なツールであると同時に、庶民の心の支えであることを忘れてはならない。

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 ※フェイルーズ 試聴 サイト

小池博史撮り下ろしフォト作品より。
空間に対する独自の視点と鋭い反射神経で、瞬間を捉える才能を発揮。優れたスナップシューターと評価されている。

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 バリシリーズ
〜 仮面編 〜
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パパ・タラフマラの代表作!
「三人姉妹」東京公演


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三人姉妹

【公演日時】1月23日(土) 午後2時開演
【料金】 ※全席自由
一般 3,500円 学生3,000円  
 <友の会 一般2,800円 学生2,400円>

【会 場】くにたち市民芸術小ホール
〒186-0003 国立市富士見台2-48-1

作・演出・振付:小池博史
出演:白井さち子 あらた真生 橋本礼

【チケット予約】
芸小ホール窓口 tel:042-574-1515 

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京都にて再演!
「ガリバー&スウィフト
-作家ジョナサン・スウィフトの猫・料理法-」


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ガリバー&スウィフト


【公演日】2010年1月30日(土)午後2時開演
【料金】※全席指定
一般     5000円
シニア    4500円
学生&ユース 4000円
学生&ユース特別割引券 2000円(座席範囲指定あり)
※ ユース=25歳以下、シニア=60歳以上対象
※ 学生&ユースは身分証明書提示必要

【会 場】京都芸術劇場 春秋座
〒606-8271 京都市左京区北白川瓜生山2-116
京都造形芸術大学内

作・演出・振付:小池博史/美術:ヤノベケンジ/オブジェ:田中真聡

【チケット取扱い 】京都芸術劇場チケットセンター
TEL:075-791-8240 チケット予約/購入について
チケットぴあ TEL:0570-02-9999(Pコード:398-407)

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4人が繰り広げる爆裂ダンス演劇作品
新作「Nobody,NO BODY」

 世界各国を駆け巡るパパ・タラフマラの代表作「三人姉妹」に次ぐ、新たな小規模作品が、ついに誕生!
 パパ・タラフマラ流「ゴドーを待ちながら」の新解釈作品です。
 お正月予約特典で1月31日までにチケットを予約すると、2010年のパパ・タラフマラ卓上オリジナルカレンダーがプレゼントされます!
 詳細・予約はコチラ


【公演日程】2010年3月3日(水)〜9日(火) 全9公演
3月3日(水)19:30開演(19:00開場)
3月4日(木)14:30開演(14:00開場)/19:30開演(19:00開場)
3月5日(金)19:30開演(19:00開場)
3月6日(土)14:30開演(14:00開場)/19:30開演(19:00開場)
3月7日(日)14:30開演(14:00開場)
3月8日(月)19:30開演(19:00開場)
3月9日(火)14:30開演(14:00開場)

【会場】ザ・スズナリ 
〒155-0031 世田谷区下北沢1-45-15 TEL.03-3469-0511

■作・演出・振付 小池博史 
■出演:池野拓哉 橋本礼 南波冴 横手祐樹

【料金】(全席自由席)
前売一般3,900円/学生・65歳以上3,500円/小学生1,500円/当日券 各券の500円増  
<当日券>開演時間の1時間前受付にて

「Nobody,NO BODY」公式サイト


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パパ・タラフマラ 公式サイト

小池博史 公式サイト
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発行・H island編集 大久保有花