今月の表紙 チルドレンシリーズ『バリ』 Photo:Hiroshi KOIKE
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『音楽の情景または
レコード棚の記憶から』

ポール・サイモンの音楽



『バリシリーズ』
〜 海編 〜

小池博史ミュージックコレクションの中から選択した曲もしくはアーティストについてのエッセイ。 単なる音楽批評ではなく、情景をも喚起させる、演出家ならではの考察。

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『音楽の情景またはレコード棚の記憶から』 vol.37

ポール・サイモンの音楽

 はじめて自分の金でレコードを買ってから、もう四十数年になる。その記念すべきはじめてのレコード!小学6年の時に、はじめて買ったのはよく覚えているのだが、直径17センチSP盤、45回転の黒いレコード盤で、30センチLP盤とは違う。これが誰のレコードだったか、思い出したら書こうと思いつつ、残念な事に未だに思い出せない。どうも歯がゆくてならない。欧陽菲菲か、ベンチャーズか、尾崎紀世彦だったことだけは間違いない。この3枚をまとめて買うようなお金があったわけがないが、それでもたぶん立て続けに購入したのだ。3枚ははっきりと覚えている。しかし、あの記念すべきレコードたちはどこへ消えてしまったのだろうか?捨てた記憶はまったくないのだ。田舎の倉庫に眠っているか、家族の手で廃棄物として捨てられたのか、・・・・だんだんそんな捨てられてしまったものが懐かしく感じられるようになってきた。いかん、と思う。

 LPレコードの初購入物は、中学二年の時に、爆発的に流行っていた「サイモンとガーファンクル」の「明日に架ける橋」だった。あの頃の30センチLP盤の値段は中学生にとってはとっても高くて、このLPだって、2,100円もした。今とたいして値段が変わらない。物価を考えれば今の2倍〜3倍もの価格的価値を持っていたことになる。もちろん内容的価値ではない。30センチLPだから、収録時間も、だいたい35分〜45分程度である。表裏でひっくり返し聴くのだから、片面は20分程度。CDになって収録時間が増え、とても手軽になったけれど、一方、見る、眺める楽しさはきれいさっぱり消えてなくなってしまった。今では、CDどころか、ネットで音だけを購入する人たちが増えているというのを聞くと、ビックリどころか、まったく理解できない思いで一杯になる。
 僕の世代では、音楽、つまりLPレコードは聴いて、見て楽しむものだった。グラフィックデザイナーもまた、LPレコードのジャケットデザインは強く意識していたはずで、やりたがるデザイナーは多かったと思う。飾るに手頃。ジャズ喫茶に行くと、それらLPレコードジャケットがずらりと並べられ、飾られていて、それらを眺めるだけでも楽しかった。そういう楽しみを今の人たちは知らないのである。

 音楽はもちろん音楽を楽しむのである。だが、LPレコードというのは、そのジャケット含めての音楽文化として成立していた。CDにも、もちろんジャケットデザインはあるが、プラスチックのケースに入った小さなジャケットであるから、見て楽しむという楽しみはLPレコードの比ではない。LPレコードは立てかけ、見て楽しめる。音楽を聴かなくても楽しめる。だからジャケ買いという言葉ができた。ジャケットが良いモノは中身の音も良い確率が高い、というところからそんな言葉が生まれた。うまいレストランは、佇まいを見れば分かるというのに近い。ジャケットにも中身がにじみ出てくるのである。そりゃそうだ。音楽があって、ジャケットをデザインする方が多いだろうから、良い音楽ならばデザイナーは良いジャケットを作りたいと思うだろう。そんなインタープレイが音楽家とデザイナーの間にもあったのだった。だから音楽文化なのである。文化とは一方通行ではない。必ず双方向的要素が加わって文化となる。その強烈な要素が、レコードからCDになり、音楽のネット配信が始まって、ほとんど消えてしまった。利便性と引き替えに、なんとも味気ない一方通行だけになったのである。

 昔はレコード屋の親父にしても、七面倒くさい親父が結構、いたものだった。親切だが、面倒くさい親父。売り物の癖に、「こんなモノ買うの?」とか言ってしまう親父がいたのだった。だから文化だった。そこにはさまざまな人の意識が介在して、購入に至ったものだった。


 閑話休題。「明日に架ける橋」にしても最初に買ったレコードだったから、ものすごい回数をかけまくった。回数を数えてはいなかったけれど、今、盤面を見るとつるつるになって溝が少なくなり、光っている。それは当然で、レコードというのは、レコード針で盤面の溝から音を拾いつつ、拡大させて音を出すものであり、CDとは根本的に考え方の違うものなのだ。音が出ると言うことでは似ているが、まったく似て否なるものがCDである。モノとして存在するCDと形のないネット購入の方がずっと近いと言えるだろう。それらはデジタル変換された音の伝達方法の違いでしかないのである。

 レコード好きな人々がいる。僕も同じくレコード好きである。レコードは聴けば聴くほどすり減るという問題があり、レコード針も消耗品であるから、時たま取り替えてやらないといけない。CDとは手軽さがまったく違う。聴くとすり減って、音はシャーシャー鳴り出すし、ちょっとミスして盤面を傷つけると跳んでしまったり、ブッチブッチと音がしたり、溝には埃が溜まりやすいので、レコードはかけるたびにレコード盤面を専用のレコードクリーナーで拭いてやり、レコード針もしばしば丁寧にぬぐってあげる。CDとは比較にならないほど面倒だ。でも、この雑音混じりの音に限りない愛着を抱く。いつまでも変わらない音ではなく、聴けば聴いただけ変化する。経年劣化ではないが、長く置いておいたままにすると、盤面がいろいろな音を拾ってしまう。カビが生えて溝を埋めることもよくある。まあ、これは僕の管理が悪いだけかもしれないが。レコードジャケットに触れ、少しカビ臭い劣化したジャケットを手に取り、そしてレコードを聴くと、だんだん歳を取っていく自分をも知ることになるのである。
 とにかく、30センチLPレコードは飾れるジャケットの良さといい、音が劣化していくところといい、間違いなくアナログであって、アナログの良さを全面的に押し出して、聴く側を納得させるのである。


 「明日に架ける橋」は、本当に聴かなくなった。今回、そう言えば昔、どんな風に聴いていたのだろうという興味もあって、ターンテーブルに乗せてみた。たぶん過去30年近くは間違いなく聴いていない。ジャケットはしっとりとして手に吸い付いてきた、ああ、この感触・・・そう、初めてのレコードだったから、そこに書いていた中村とうようさんの文章を繰り返し読んだのだ。そうか、音楽を聴いてこんなことを思うのか、と何も知らない中学生の僕は感激しながら見て、読んだのだった。今読むと、どうもまるっきりしっくり来ない文章だったが、その頃は僕にとっては疑うことない中村とうよう先生であった。
 さて、肝心の音楽。まず、めちゃくちゃ懐かしい。中学生の頃が蘇ってくるようだった。そして、美しい歌声。本当にアーサー・ガーファンクルの声にシットリ、しんみりと聞き入ってしまった。「ボクサー」など、本当に名曲だと思う。だが、全体的には正直言って、肩すかしを食らった。あれ、こんなもんだっけ、だった。でも、これを聴いていた時期は飽きずに繰り返し、繰り返し、聴いたのだった。だから、フレーズをほとんど覚えている。しかし、何と今聴くと、美しい声だなあ、良い曲だなあ、とは思うけれど、それ以上でも以下でもない。昔はこれが、とっても素敵に、面白く感じていたのだった。年月というのは、こういうもんだなあ、と改めて感じた次第である。
 
 ポール・サイモンとアーサー・ガーファンクの二人組はこのアルバムでコンビの解消となった。そしてソロ活動に専念し、ときどき再結成して、昔の大ヒット曲音楽を聴かせて回り、そして再び解散し、という繰り返しを行ってきたようである。
 「サイモンとガーファンクル」の音楽監督はポール・サイモンであって、アーサー・ガーファンクルはあくまでも美しい声の持ち主という役回りであった。だからこれ以降のポールの動きを見ていくと分かることが出てくる。ポールはさまざまな民族音楽に接近し、民族音楽を取り入れたアルバム作りをいろいろとやっていた、という印象がある。その中でも「グレイスランド」というのは比較的よく聴いたアルバムだろうが、後はちょっと聴いてすぐ聴かなくなった。次第に僕は彼らに興味を失ってしまい、聴いては、フウムと思うくらいで、深入りしなくなってしまった。

 「明日に架ける橋」でも、ペルーの名曲「コンドルは飛んでいく」をS&G風にアレンジして演奏している。確かにうまい。きれいなハーモニーを聴かせてくれて、うっとりする人も出てくるだろう。
 このアルバムは1969年か1970年だったはずだから、アメリカはまさにヒッピー時代のまっただ中であった。ヒッピーの世に、強いメッセージを持つわけでもないフォークソング的美しい音楽や、民族的音楽をアメリカ風に修正して美しく歌うというのは、逆に新鮮だったかもしれないと思う。ちょっぴりしんみんりし、青春のほろ苦さを歌った歌が多いが、そんな曲、つまり「意味はあまりない」という意味があったのだ。「サウンドオブサイレンス」にしても深い意味はない。だが、その意味のなさ、ほろ苦さ、温かみ、美しさが時代にマッチしたという点があった。だから、映画に使われたりして、大ヒットとなっていったのである。愛と平和を掲げたのがヒッピーだったのだから、強いメッセージを掲げないだけ、逆の意味で愛と平和のヒッピー的だとも言える。

 つまり、「サイモンとガーファンクル」というチームは、美しい歌を格好良く聴かせたかったチームなのだと僕は思った。だから、ポール・サイモンはその後も、うまく第三世界の音楽を取り入れつつ、ソフィスティケートした音楽を作っていった。それはそれで結構だろう。だが、その取り入れ方が、僕には中途半端に思えてならなかったから、聴かなくなっていったのだろう。良い部分だけを掠め取るようなやり方で取り入れていたように思えてならない。悪いところまで取り入れろ、と言っているのではもちろんない。だが、僕には心に響く何かがどうにも足りないと感じてしまうのである。それは、彼の立ち位置の問題だろうと思う。


 今、僕はエジプトジャズをよく聴いている。それは、えらく濃厚である。表面上が濃厚でなくても、熱さがあれば、濃厚さを感じることはできる。その熱とは、掠め取るものではない。


 ポール・サイモンやデビッド・バーンなどの音楽を聴くと、他文化への向かい方には真摯に取り組む必要を感じてしまう。同時に、現在、地域限定主義はもはや成り立たない時代になり、それらがミックスされたときに、いったい新しく何が生まれ、どういう可能性が育つか、そこに僕は強い興味を抱いてずっとやり続けてきている。
 ポール・サイモンはその意味で、反面教師となっている。

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小池博史撮り下ろしフォト作品より。
空間に対する独自の視点と鋭い反射神経で、瞬間を捉える才能を発揮。優れたスナップシューターと評価されている。

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発行・H island編集 大久保有花