今月の表紙 アニマルシリーズ『バリの子犬』 Photo:Hiroshi KOIKE
*このメールはインターネットに接続した状態でお読み下さい。



『音楽の情景または
レコード棚の記憶から』

ザビヌルを巡って



『バリシリーズ』
〜 海編2 〜

小池博史ミュージックコレクションの中から選択した曲もしくはアーティストについてのエッセイ。 単なる音楽批評ではなく、情景をも喚起させる、演出家ならではの考察。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『音楽の情景またはレコード棚の記憶から』 vol.38

ザビヌルを巡って

 ジョー・ザビヌルという名前を知っているか?ジャズ、フュージョンのピアノ、シンセサイザー演奏家、アレンジャー、作曲家ということになるはずである。オーストリア、ウィーン出身の彼は、ボストンのバークレー音楽院に入学したが、すぐに飽きたらず、ニューヨークへ出て、メイナード・ファーガソンビッグバンドへ入り、次いで、キヤノンボール・アダレイのグループに長く在籍した後、1968年にマイルスバンドに在籍、「イン・ア・サイレント・ウェイ」、「ビッチェズ・ブリュー」のレコーディングに参加、その後、1971年にはウェザーリポートというグループをウェイン・ショーターと作った。まあ、これは彼の有名な履歴である。

 ザビヌルを書きつつも、改めて考えてしまうのはマイルスのことだ。参加している個々のアーティストの濃厚な個性の強さ、能力を最大限、引っ張りあげてしまう求心力と創造力には目を改めて瞠らされる。そして、そのときどきで、自分の目指す方向に向かって、パーツとしてバンドに在籍させつつ、最大の能力を引き出しては、切り離し、次に移行していくというどん欲さも並はずれている。あくまでも次に至る過程でありつつ、結果としての実りを確実にもたらすのである。以前も書いたが、マイルスは演奏者であったが、それ以上に演出家であり、最先端に位置しなければ気がすまない根っからのアーティストであった。人と同じことなど絶対にやりたくないという意志の塊だった。
 だが、パーツを選択する目利きはきわめて優れていた。そして、そのアーティストから吸収するだけしたら、ほっぽり出すわけだが、選択されたミュージシャンたちは、その多くが次代のリーダーになっていくという、いわば、試金石がマイルス・デイビスという存在だったのである。

 では、ザビヌルは何をマイルスから求められたのか。彼はピアニスト、シンセサイザー奏者だ。けれど、特筆すべきはアレンジャーとしての能力だろう。一種独特の空気感を、音楽にふわりと吹き込んでいく手法と、その才覚をたっぷりと持っていた。

 マイルスはザビヌル加入の前まで、「ネフェルティティ」「マイルス・イン・ザ・スカイ」「キリマンジャロの娘」と1967年〜68年にかけて立て続けにアルバムを発表してきている。そして、それはアコースティックバンドからエレクトリックマイルスへの変遷の課程であり、さらに、大きく舵を切ろうとして、必要となったのがザビヌルだったのだろうと思う。「マイルス・イン・ザ・スカイ」で初めて電気楽器を用い、「キリマンジャロの娘」ではチックコリアを入れたりしているが、独特のムードを醸し出すまでには至っていない。あくまでもマイルス色、ウェイン・ショーター色の強いバンドであった。そこで、ザビヌルに白羽の矢が立てられ、彼が加入したとたん、一気に方向性が見えてきたのではないか。ザビヌルにしても、マイルスというメディアを通すことによって自分自身の潜在的能力が明らかになっていったのだ。そして、マイルスバンドは、「ビッチェズ・ブリュー」という一つの頂点を迎えることで、ザビヌルは切り捨てられる。ザビヌル色はかなり濃厚な色合いを持つために、マイルスとしては、次へのステップのため邪魔になったのではないか。真相はまったく知らないが、僕はそう、想像するのである。

 こうして、マイルスの元を離れたザビヌルとウェイン・ショーターは数年置いて、双頭コンボ、「ウェザーリポート」を結成することになる。最初はアコースティックバンドであったウェザーリポートは、数年でエレクトリックバンドへと瞬く間に変化していく。時代と寝ながらも、時代の先端を行きたいという欲求が全面的に表れつつも、マイルスによって開発された才能はそれら欲望をすくい上げてあまりあるほどの輝きを10年以上も見せ続けたのだった。

 ベーシストもこのコンボにおいては大きな特徴を最初から放ち続けた。ヌメヌメと、蛇のように絡みつくベースラインは誰に変わっても特徴的なバンドの色であったのだ。双頭の鷹としてのザビヌルとショーター、ベーシストとしての、ミロスラフ・ヴィトウス、そしてジャコ・パストリアス、・・・・とまあ、輝ける星が居並び、特にジャコはこのグループで一気に花開き、フレットレスベースによる美しい旋律を持ったベースラインを引っさげて、自分の世界を瞬く間に広げ、展開し、そしてドラッグとアルコールと喧嘩によって、35歳で死への扉を開いてしまったのだった。ジャコのメロディアスで明るいベースラインと、彼自身の躁鬱症はどうにもリンクしないが、それがまた、音楽からの悲痛の叫びを聴くような気分を起こさせるのである。ジャコも才能によって打ちのめされたアーティストであった。

 さて、こんな偉そうな事を書いているが、実は「ビッチェズ・ブリュー」はともかく、他のアルバムはさほど真剣に聴きたいと思ったアルバムではなかった、というのが本音である。ところが、面白いもので、急に気になりだした。アルバムはずっと持っている。だから、聴こうと思えばいつでも聴けたし、たまには聴いてはいたのだったが、結局、フウン、まあまあだなあ、で終わってしまうのが常だったのである。ところが急にこの頃のアルバムを全部、聴きたくなった。マイルスの1967年〜ザビヌル〜1970年代半ばまでのウェザーリポートのアルバム群。なぜか。突然、ザビヌルが目の前を繰り返しよぎるようになったのだ。意味もなく、ザビヌルだった。つまり、あのザビヌル的浮遊音が耳鳴りのように鳴り出したのである。僕はこういうことがたまにある。何かきっかけがあったのか?と問われると何とも言いようがない。分からないとしか言えない。ただ、こういうときはその音がピタリと嵌って、突然、非常に明瞭な音として聞こえ出すのである。それまで、面白いとは思っても、ビックリするようなことがなかった音たちが、きらきらと輝き出すのである。

 どうしてなのか、と問われても返しようがない。突然、降ってくる。舞台音楽の選曲でも同じで、選曲する局面があるとき、僕はほとんど探さない。音は降ってくるモノである。音は降り、全面的に、感覚的に受け止めることができるようになると、実はそれが自分にとって何であったかが明瞭になってくるのである。

 私にとって、ザビヌルは何だったのか?「ウェザーリポート」が初アルバムを出した頃のことはよく覚えているが、あの頃は僕にとって、まったく意味のない音楽であったのだろう。その意識が、あの時代の、彼らの音楽を遠ざけたのだ。端的に言えば、ザビヌル的音のことだ。決してショーターの音ではなかった。マイルスの「ビッチェズ・ブリュー」で、ザビヌルは非常に大きな貢献を果たしたが、ザビヌル的音は一部であったと言って良い。あくまでも、主軸はマイルスにあり、そこにショーターとザビヌルが両輪として支えたアルバムだった。

 つまり、あの頃。あの時代の空気が強く僕の意識に反映されていたと言うことである。60年代〜70年代頭の熱気は、少年の僕の身体の中にも染みついて、活発に蠢いていた。日本中が活気に溢れ、学生運動も頂点を迎え、成田闘争や浅間山荘事件や三島の割腹事件が次々と起き、何もかもが動いているような時代を、最も象徴していたのは、やはりジョン・コルトレーンの音楽で、つまり、激しい音が止めどない波のように押し寄せ、前のめりに蹴り倒し続けるような音楽こそが、一番、時代にふさわしかった。そこに「ウェザーリポート」。どうにも、ふわふわし、いまいち、強いリアリティを感じられない音として僕の身体に刻印されてしまった、としか言いようがない。
 ところが、これが今頃になって、脳裏に上ってくるようになった。だから、楽しい。だから、記憶というのは、実は人間の身体を形作っているのだ、と断定したくなる。だからこそ、今、いかに真摯に生きられるかが問われるのだと思う。身体の奥底では、「ウェザーリポート」にせよ、「ザビヌル」にせよ、絶対に「嫌い」という反応を示していたわけではない。だが、時代や自分自身の頭が一時的に拒絶して、記憶の底にしまい込んでしまったのだろうとしか思えない。
 結局、人間は記憶の生き物であるとしみじみと思うのだ。いかなる記憶を築くのか。それが問われていると、僕は改めて「ザビヌル」を聴きながら思うのである。

 さて、そのジョー・ザビヌルの「ザビヌル」。マイルスバンドで掴んだ自身の才覚を、初めてこのアルバムで、自身のリーダー作として世に出したアルバム。長くいたキヤノンボール・アダレイのバンドでは絶対に出来得なかったことをマイルスを通過することで、マイルス的な音構成の仕方を学び、かつ、自身の音楽性とあわせることによって、マイルスバンドの「イン・ア・サイレント・ウェイ」を独自に発展させていったのだった。つまり枝分かれしていったということである。
 このアルバムは、僕に人間の学びについての考えをもたらしてくる。マイルスがいなかったら、ザビヌルはこの境地には到底、至らなかっただろう。人の才能とは他者を通過することで伸ばされることも強くあるのだ、と認知するのである。そして、マイルスがいなかったら、ザビヌルは「ウェザーリポート」へと発展していくこともなかっただろう。まったく別の道を辿ったはずである。どちらが良かったかなんて、誰にも言うことはできない。わからないとしか言えまい。だが、マイルスとの出会いがなければ、ザビヌルは、これほど記憶に残るアーティストにはなっていなかったはずだ。

 僕たちもさまざまな人々と日々出会っている。人との関係を大切にしようとする人もいるが、まったくぞんざいに関係はなかったかのごとく、振る舞ってしまう人もいる。だが、いかなる道を求めるか、その意識が道を開けも、閉じもするのだと思い至る。
 なんとも人の出会いとは面白く、深く、楽しいものである。

 →TOPへ

小池博史撮り下ろしフォト作品より。
空間に対する独自の視点と鋭い反射神経で、瞬間を捉える才能を発揮。優れたスナップシューターと評価されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 







 →TOPへ

 バリシリーズ
〜 海編2 〜
写真をクリックすると、大きなサイズで見られます。

最新情報のお知らせや、多様な仕事のあれこれを紹介。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

スウィフトプロジェクト第3弾!
パパ・タラフマラ新作公演

SWIFT SWEETS』チケット先行予約情報!

 2008年から3年かけて東京・インドネシア・韓国で共同制作を行うパパ・タラフマラの 「スウィフト・プロジェクト」は、ガリバー旅行記の著者ジョナサン・スウィフトをモチーフにしています。本作品はいよいよシリーズの最終章。奇人スウィフトの愛の物語です。
メルマガ会員の方は、先行予約でプレゼントがもらえます!

先行予約期間:7月24日(土)午前11時〜7月31日(土)午前11時まで
先行予約は、期間内に下記URLにアクセスしてお申し込みください。

(PC)https://ticket.corich.jp/apply/21346/
(mobile)http://ticket.corich.jp/apply/21346/

プレゼント詳細はコチラ

◆公演情報
パパ・タラフマラ 日韓共同制作
『SWIFT SWEETS』スウィフトスウィーツ

作・演出・振付:小池博史 
出演:白井さち子、石原夏実、Choi Yong Seung、Ji Ye Na、Shin Eun Hwa(韓国)
作曲:Uzong Choe 
美術:森聖一郎  
オブジェ:ヤノベケンジ
衣装:川口知美(COSTUME80+)

◆公演日程
2010年9月24日(金)19:30
    9月25日(土)14:30☆/19:30
    9月26日(日)14:30
    9月27日(月)19:30
☆9月25日(土)マチネ後、小池博史とペーター・ゲスナー氏(せんがわ劇場芸術監督)のアフタートークがございます。

◆チケット料金(全席自由席)
前売 一般 3,500円
学生・65歳以上 3,300円
小学生 1,500円
当日券 各券の500円増

※予約受付時の整理番号順にご案内します。
※受付開始は開演の60分前、開場は開演の20分前です。
※上演予定時間は約65分です。(休憩なし)
※開演時間を過ぎてからのご入場は、案内できかねる場合がございます。

◆会場
調布市せんがわ劇場
〒182-0002 調布市仙川町1-21-5  tel:03-3300-0611

◆一般前売チケット発売日
2010年7月31日(土)午前11時〜


◆お問合せ
SAI Inc.
tel:03-3385-2919  fax:03-3319-3178
e-mail:ticket2010@pappa-tara.com

→TOPへ


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

パパ・タラフマラ 公式サイト

小池博史 公式サイト
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
Copyright(C) 2010Hiroshi KOIKE,All Rights Reserved.
毎月10日発行
 ご意見、ご感想、ご質問をお寄せ下さい。 →ookubo@fule-yurara.com
お友達にすすめてみよう!  登録・解除 →こちら 
発行・H island編集 大久保有花