今月の表紙 チルドレンシリーズ『バリ』 Photo:Hiroshi KOIKE
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『音楽の情景または
レコード棚の記憶から』

U2前哨戦



『バリシリーズ』
〜 オゴオゴ編 〜

小池博史ミュージックコレクションの中から選択した曲もしくはアーティストについてのエッセイ。 単なる音楽批評ではなく、情景をも喚起させる、演出家ならではの考察。

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『音楽の情景またはレコード棚の記憶から』 vol.39

U2前哨戦

  僕が音楽を夢中で聴くようになったのは、中学生の頃からであったが、その前もまた、結構な音楽好きではあった。その前、すなわち小学生以前の音というと、歌謡曲がメインで、それに加えて、家にあったクラシック音楽や映画音楽、シャンソン、これらの音楽を聴くともなくターンテーブルに乗せては聴いてはいたが、それほどの強い意識を持ってはいなかった。

 そうは言っても、あの頃の歌謡曲は強く僕の身体に染み付いていて、未だに奥村チヨ黛ジュン西田佐知子ザ・ピーナツ・・・などなどが聞こえてくると浮かれ出す。そして、もちろんグループサウンズの一連なども聴いては、こりゃ、オレたちもやんなきゃダメだっぺよ、なんて言っていた記憶がある。タイガーステンプターズスパイダースゴールデンカップスカーナビーツワイルドワンズ・・・などなど、未だにこのグループサウンズ出身のタレントが数多く活躍しているのは驚き以外の何ものでもないのだが、それほど、あのとき多くのタレントが排出したのだった。だいたいは音楽家から転身して、タレントや俳優になっている。それに僕自身、未だ、グループサウンズ時代の多くの曲をそらで歌えるくらいだから、かなり聴いていたのだと思う。当時は、聴くというよりもテレビの歌番組が多く、毎日ゴールデンタイムには歌番組をやっていたし、家中、みんな歌好き、音楽好きだったから、かじり付くように歌番組を見ていたのだった。
 だからこの時代は老若男女、誰もが同じ歌を聴いて、同じ歌を口ずさんだ時代だった。今では若者の歌は若者しか知らない時代になり、歌の時代は終わってしまったかのようである。高度成長期の、当時の楽しみはまだ戦後混乱期の名残があって、歌こそが一番であった。だから、歌がきらきらと輝いていた時代だった。


 グループサウンズの影響から、その頃、皆が注目していたビートルズを聴くことになったけれど、当時はあまり面白いと感じられず、次第にロックに傾倒していくようになる。ビートルズに関しては、そのうち書かかなければならないと思っている。とても一回では終わらないだろう。改めて圧倒的で、奇跡的なグループであることを年月が経るほどに感じるからだ。音楽はもちろん良いのだが、アルバム構成力も抜群で、あの時代に限らず、音楽史に燦然と輝くグループであったことだけは間違いがない。それを面白くなく感じたのが、あの当時の僕だった。理由等は、'いつか書くビートルズ'で述べたい。

 さて、そんな風にして、ロックに傾倒していく。しかし、瞬く間に嗜好性が変わっていった。ボブディランローリングストーンズクリームピンクフロイドキングクリムゾン・・・この辺で、一度、長い期間、ロックはおさらば、となる。以前も書いたがクリーム時代にマイルスデイビスと出会ってしまい、ロックが浅く見え、技巧を争うようなロックには興味がなくなって、ジャズにどっぷりと浸かるようになっていった。それでもなお少しだけ灯が灯っていて、別の指向性を持ったものにわずかな興味が残ったのだった。ピンクフロイドやキングクリムゾンなどのプログレッシブロックと言われたようなロック、すなわち、ダンスシアターならぬ、シアターミュージック的な方向性を持たせた音楽に興味が移ったのである。

 それもしばらくすると飽きが来た。そして、ジャズ一辺倒になってしまった「暗黒のジャズ時代」が約10年間、20代半ばまで続くことになった。高校半ば〜パパ・タラフマラを開始した頃までが、僕の「ジャズの時代」であった。その間、チョロッチョロッと聴いていたロックは、ライクーダーサンタナなどなど。ロックと言っても民族音楽要素の強いロックで、いわゆる正統的ロックからはほど遠くなっていったのだった。
 正統なんて言っても、なんに関してもなんだが、あるようでない。所詮、幻想にすぎない。しかし、ないようであるようにしたがるのが分類好きの人々であるから、その例に倣っているにすぎないのだが、ジャズを、いわゆるインプロビゼーションをメインとして、激しく時代に拮抗しようとした音楽と言い換えるならば、その空気感にどっぷりと僕は身を浸していったのだった。しかし、本来はジャズの定義などどうだって良い。なんでもそうだが、よいモノとダメなモノがあるだけなんである。ジャズだって、60年代ジャズと30年代ジャズ、現在のジャズでは、あり方が全く違う。つまり、黒人の人権に関する意識が非常に強くなった時代と、抑圧された時代ではまるで音楽のあり方がすでに変わっているということである。60年代〜70年代のジャズ喫茶は、「おしゃべり禁止」で、大音量で流すジャズにどっぷりと浸かり、身体を揺すり、まずい珈琲をちょびっとずつ、すすりながら、2時間以上は、その場で音を体感し続けるのがスタイルであったのだ。
 僕のあの頃の精神状態は、全身からフラストレーションが溢れださんばかりであったから、ジャズはピタリとはまったのだった。その頃、ジョン・コルトレーンを浴びるほど聴いた。当時の状況を考えれば、間違いなくジョン・コルトレーンこそが、時代を担っていた。音楽は素晴らしかったが、それ以上に時代の疾走感を身に纏い、何ものにもぶれず、一直線に向かっていく姿は、僕の感性にピタリとフィットしたのだった。
 コルトレーンもなかなか書けないでいる一人である。コルトレーンをどう捉えるか、それをイージーに考え、書くのは簡単だ。しかし、コルトレーンは僕にとっては、いや60年代末〜70年代前半に掛けて、多くの人々にとって、強烈な磁場を放ち、そしてその磁場が放つエネルギーに吸い取られるように、死に向かってまっしぐらに突き進んだイノシシ型の羨むべき男であったのだった。だからあのエネルギーはなんであったのか、検証しないことには書けるものではない。未だに、僕はコルトレーンを聴けないでいる。ある時期から封印したかのように、コルトレーンのレコードは静かに棚の中に眠っている。もちろんCDなど一枚も購入していない。レコードは20枚くらい、持っているし、ジャケットを取り出してはたまに顔つきを眺めるが、再びジャケットは元の場所に戻される。25年間、音盤はまったく閉じこめられてしまっているのだ。
 僕にとってのコルトレーンは、あの当時の苦しさがこびりつき、記憶の表層に上ってくることさえ、拒絶したくなる気分がある。それがある限りなかなか書けまい。

 さて、「暗黒のジャズ時代」が終わると、一気に「花畑音楽時代」となっていった。家の中では、ジャズという黒い花がたくさん、咲き乱れていると思って、それしかないかのようにまっしぐらに進んでいたんだが、外を見てみたら、あらら、びっくり、色とりどりの花が咲き乱れているではないか、だったのである。もともと民族音楽は聴いていたし、もちろんロックもフォークも、歌謡曲もなんでも来いであったから引き返す苦労はなにもない。それが目をつぶされたかのように暗黒道まっしぐらとなり、再び、元の道へと戻っただけのことである。その頃からワールドミュージックという新しい方向性を持った音楽が少しずつ出だしてきた。この世界的流れは、ジャズ世界からの脱出には大きく役に立ったのだった。

 元々持っていた自分たちに固有の音楽に西洋音楽の要素が入り込んだり、西洋の楽器が入り込むことによって、音楽は新しい方向性を持って動き出しつつあるときだった。そこに、フランスのプロデューサーたちが目を付けて、引っ張りあげていったのが、ワールドミュージックと呼ばれるようになって、民族音楽の枠を超え、一気に花開いていった。
 もちろんそういう流れとは別個ではあったが、同じ頃にアイルランドからも、新しい、そして強い根っこを感じさせるポピュラー音楽が出てきた。それが、U2であった。U2は、元々、西洋のロックに入れられるような音楽なんだろうが、その感性はアイルランドで培われた風土性が大きい。深い土臭さを持った音楽なのだ。

 さて、今回は、このU2を書こうと思って書いていたら、やたらと前置きが長くなってしまった。
 なので、U2に関しては次回への続きとする。お楽しみに。

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小池博史撮り下ろしフォト作品より。
空間に対する独自の視点と鋭い反射神経で、瞬間を捉える才能を発揮。優れたスナップシューターと評価されている。

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 バリシリーズ
〜 オゴオゴ編 〜
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スウィフトプロジェクト第3弾!
パパ・タラフマラ新作公演

SWIFT SWEETS』チケット発売中!

 日韓共同制作の『SWIFT SWEETS』、韓国での稽古が順調に進み、これからは日本での稽古になります。日々の稽古の様子はメイキングブログにレポートされていて、韓国人パフォーマーの紹介などもあり、読んでいると作品への期待が高まります。奇人スウィフトの愛の物語はどのように紡がれて形になっているのか、楽しみですね。あいかわらず超ハードな稽古のようですが…
 日本公演は9月24日から。会場は小劇場なので、予約はお早めに!









◆公演情報
パパ・タラフマラ 日韓共同制作
『SWIFT SWEETS』スウィフトスウィーツ

作・演出・振付:小池博史 
出演:白井さち子、石原夏実、Choi Yong Seung、Ji Ye Na、Shin Eun Hwa(韓国)
作曲:Uzong Choe 
美術:森聖一郎  
オブジェ:ヤノベケンジ
衣装:川口知美(COSTUME80+)

◆公演日程
2010年9月24日(金)19:30
    9月25日(土)14:30☆/19:30
    9月26日(日)14:30
    9月27日(月)19:30
☆9月25日(土)マチネ後、小池博史とペーター・ゲスナー氏(せんがわ劇場芸術監督)のアフタートークがございます。

◆チケット料金(全席自由席)
前売 一般 3,500円
学生・65歳以上 3,300円
小学生 1,500円
当日券 各券の500円増

※予約受付時の整理番号順にご案内します。
※受付開始は開演の60分前、開場は開演の20分前です。
※上演予定時間は約65分です。(休憩なし)
※開演時間を過ぎてからのご入場は、案内できかねる場合がございます。

◆会場
調布市せんがわ劇場
〒182-0002 調布市仙川町1-21-5  tel:03-3300-0611

◆チケット予約
(PC)https://ticket.corich.jp/apply/21346/
(mobile)http://ticket.corich.jp/apply/21346/


◆お問合せ
SAI Inc.
tel:03-3385-2919  fax:03-3319-3178
e-mail:ticket2010@pappa-tara.com

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パパ・タラフマラ 公式サイト

小池博史 公式サイト
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発行・H island編集 大久保有花