今月の表紙 チルドレンシリーズ『バリ』 Photo:Hiroshi KOIKE
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『音楽の情景または
レコード棚の記憶から』

1970年前後のマイルス



『バリシリーズ』
〜 女性編 〜

小池博史ミュージックコレクションの中から選択した曲もしくはアーティストについてのエッセイ。 単なる音楽批評ではなく、情景をも喚起させる、演出家ならではの考察。

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『音楽の情景またはレコード棚の記憶から』 vol.40

1970年前後のマイルス

 今年の夏はまだまだ続いていて、どうにもこうにもやりきれないほどだ。それでも私はこの暑さを8月19日までは味わうことなく、ソウルと長野の山奥に滞在していたので、まだましだった。ソウルはまるっきり暑くなかったし、それより長野の方がまだ少々暑く、そして東京に戻ってくると、驚きの連日の熱暑。8月下旬になるから、そろそろ涼しくなるだろうと思ってほくそ笑んでいたら大間違い。この熱暑をずっと感じ続けた人々は、もう勘弁、ウンザリ、ああ嫌だ、なんとかしてくれ!!!と大声で叫びたくなる気分であることは間違いなかろう。

 そんな中、前回、U2の続きを書くと書いたのだが、今、このくそ暑さの中、どうにもアイルランドバンドのU2を聴く気になれず、書く気も起きない。モワモワ、ジリジリとした暑さの中で、U2はまだまだ知的な感覚があって、それよりはこの熱そのものに対峙できるような熱の塊のような音にしか次第に僕は反応しなくなっていったのだった。たとえば、知性を感じさせても一度、燃え出すと止まらない感触のあるアートアンサンブルオブシカゴや1970年前後のマイルス・デイビス(と言っても、1969年〜1975年と1970年代前半に重きが置かれるが1969年のマイルスを忘れるわけにはいかない)。昨日なんて、もう20年ぶりくらいに、ジョン・コルトレーンの「In Japan」という1966年の東京ライブの3枚組LPレコードまでターンテーブルに載せてしまったくらいだ。コルトレーンは聴かなくなって久しいが、やっぱりスゲエ、胃がギリギリした。彼の死の一年前の録音であるが、熱の塊となって放射している。なんでも東京公演の当日はヨダレを流しながら吹いていたらしい。その恍惚として、盲目的、一心不乱、向かうところ敵なし、サックスは女体と化し、まるでコルトレーンが性的興奮を味わっているかの如くに、留まるところなく、コルトレーンが超然としてもだえにもだえるのである。

 さてさて、そんな状況だったので、ついコルトレーンのライブインジャパンを書きそうになったけれど、やっぱりコルトレーンはまだまだアトだ、と思い直し、1970年前後のマイルスを書きたい。U2は、少し涼しくなってからだ。この夏、ずっと毎日のように、1970年前後のマイルスには立ち向かっていたのだった。この時期のマイルスもまた熱の塊だった。

 マイルスは、ジミ・ヘンドリックスに触発されて、ロックもファンクも俺さまが最高のものを作り上げてやる、と異様なまでに意気込んでいた時代であった。この気分はよく分かる。新しいものが人気を持って出てきた。それが迫力あるものだったとするなら、マイルスほどの男が気にならないはずがない。ならば、そうだ、そんなのは俺でもできるわい、俺さまが最高のものを聴かせてあげるぜ、おまえら。そんな気分だったのだ。「気分」にまっしぐらに向かえるという愚直さをこのトランペットマンは持っていた。この愚直さは、本来はアーティストには必須のもので、自分が思いこんだ事に対して、ライバル心を持ってまっすぐに向かっていけるというピュアネスは換えがたく輝かしい。

 けれど、マイルスとジミヘンではあまりにキャリアが違う。マイルスはすでに大御所も大御所、その大御所がポッと出にちかいジミヘンに強烈に興味を持ち、ライバル心を燃やすというのは、一般的に見れば大人げない、もっと余裕を、ということになっちまうが、アーティストというのはそんなことはどうでもいい。自分が気になった事に対して、一心不乱に立ち向かう。だから、創造欲の塊になれる。俺もあの地点へ。そして通り越せ。あの表現を俺も獲得し、その中で、一番上に立ってやるぜ、という意識。1970年にはマイルスは44歳になっているのである。44歳の大御所が27歳のジミヘンを超えようとムキになる。だけど、確かに一般的人気という点ではジャズはロックにかなわない。くそったれ、という気持ちは間違いなくあっただろう。

 それにしてもこの夏は異様だった。そもそも、夏は暑いもので、昔は冷房なんてなかったから、暑さにジリジリと焼かれた気がしたし、子供の頃はその直射日光をビリビリと受けることに喜びを見いだし、いかに肌が焼けて、真っ黒になれるかを競ったものだった。夏のエネルギーと言えば、その熱自体であり、どうしようもなく熱が溜まってしまったら、そのまま水を浴びては走り出したりしていた。この習慣は延々と最近まで続いていた。

 だから、夏の音楽は、僕にとっては決して大滝詠一だの山下達郎だのと言った、夏だ、海だ、サーフィンだ、みたいな音楽は全然、受け付けない。ハワイアンもブラジル音楽も嫌いじゃないが、あまり夏の気分じゃない。夏は癒しじゃあないのである。盛夏のジリジリした暑さは戦いである。人間対自然の闘いである。そんな気分にさせられるのだ。夏はエネルギーで対抗するようなものこそが、最も夏にふさわしい。夏はパワーなのだ。夏は勝つか負けるかなんである。人生だって似たようなもんだ。人生はパワーなのだ、とも言えるじゃないか。

 1970年前後のマイルスは前述したとおり、新しいことにチャレンジし獲得しようと、燃えに燃えていたと言って良い。燃えに燃えれば、自ずと最高のパワーを放出する。マイルスが病気になる前でもあって、だから、最後の強烈な燃焼時期であるこの時期、燃えつくさんばかりであったのだった。
 この時代に発表され、僕が持っているアルバムだけでも以下のアルバムがある。「On the Corner」を除き、すべて2枚組アルバムである。

 Bitches’ Blew
 Miles at Fillmore East
 Live Evil
 On the Corner
 Get up with It
 At Fillmore East Mar 7 1970: It's About That Time
 Black Beauty
 Dark Magus
 Agharta
 Pangaea

 この中で、「Bitches’ Blew」「Get up with It」「On the Corner」を除けば、すべてライブアルバムで、緻密な計算というよりも、勢いを形にしていったようなところがある。しかし、これら勢いの止まるところを知らぬかのごとき凄まじさを是非とも体感してほしいと思うのである。熱塊の音楽としか言いようがない音。頭の中はロック&ファンクのリズムが鳴り続け、地味目の衣服もまた、どんどん派手になり、世界の中心は俺様だ、と言わんばかりの強烈な熱塊となりながら、うねうねうねうねとのたくって、じわりじわりと呪術的世界へと聴衆を引きずり込んでいったのであった。この頃のマイルスのアルバムはどれもがファンク、ロック、ジャズというようなジャンル分けなどちゃんちゃらおかしくなってしまう、極彩色の宗教性を持った、強いオリジナリティに彩られていたのだった。だから、かのウェインショーターと言えども、バンドから離れざるを得なくなっていった様が手に取るようにわかる。近づけば火傷を負ってしまうから、それに対抗できるだけの気力、体力ある人間でなければ、その元には留まれまい。そもそも自分の彼女を「Bitch」と呼ぶような男なんである。まともな神経ではズタズタだ。その代表作の一つ、いや20世紀最大の音楽アルバムの一つでもある「Bitches’ Blew」なんて、日本人だから平気でビッチェズブリューって発音できるが、恥ずかしくてとてもじゃないが言えたもんじゃないような意味である。

 その最終地点が1975年の日本でのライブを収めてある「Agahrta」、「Pangaea」であり、そのジャケットは横尾忠則氏の画が施されていて、いかにもの作りに少々イヤになり、珍しくジャケットを見ながら聴きたいとは思わないアルバムなのだが、その意識のありどころが反映されていておもしろい。
 この熱塊時代のマイルスを経て、ショーターはウェザーリポートを作り、チックコリアはリターントゥーフォーエバーになり、キースジャレットは静かなるピアノソロに向かっていった。呪術世界を逃れて、誰もが「清新さ」「清澄さ」の方向に向かったのは、いかにマイルスのその時代が強烈だったかを物語っている。

 マイルスは、やはり強烈きわまりなかった。コルトレーンのように超然とするのでもなく、枯淡の境地に陥るでもなく、ギラギラした才能を引っさげて「オレさま」で居続けたのである。
 1969年から1975年のアルバムを聴いて、熱に溶けてみると良い。ブンブンと踊り出したくなるに違いない。

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小池博史撮り下ろしフォト作品より。
空間に対する独自の視点と鋭い反射神経で、瞬間を捉える才能を発揮。優れたスナップシューターと評価されている。

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 バリシリーズ
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スウィフトプロジェクト第3弾!
パパ・タラフマラ新作

SWIFT SWEETS』まもなく公演!

 公演初日まであと2週間にせまり、佳境に入った稽古場に行ってきました。あいかわらず細やかな演出の指示が飛び、それを実現するために懸命に稽古に励むパフォーマーの姿には圧倒されました。
 奇人スウィフトと彼を取り巻く4人の女性(母親、乳母、恋人のステラとバネッサ)。色っぽくて、可愛らしいけれども、滑稽で醜い部分もあるなど、様々な面を見せてくれます。女性性が凝縮されたような作品です。そしてやはりスピード感のあるダンスシーンは圧巻で、期待を裏切りません!!
 会場のせんがわ劇場は、安藤忠雄建築、開館3年目のまだ新しい劇場です。
ちょっとオシャレな街「仙川」の劇場に、ぜひご来場ください。












◆公演情報
パパ・タラフマラ 日韓共同制作
『SWIFT SWEETS』スウィフトスウィーツ

作・演出・振付:小池博史 
出演:白井さち子、石原夏実、Choi Yong Seung、Ji Ye Na、Shin Eun Hwa(韓国)
作曲:Uzong Choe 
美術:森聖一郎  
オブジェ:ヤノベケンジ
衣装:川口知美(COSTUME80+)

◆公演日程
2010年9月24日(金)19:30
    9月25日(土)14:30☆/19:30
    9月26日(日)14:30
    9月27日(月)19:30
☆9月25日(土)マチネ後、小池博史とペーター・ゲスナー氏(せんがわ劇場芸術監督)のアフタートークがございます。

◆チケット料金(全席自由席)
前売 一般 3,500円
学生・65歳以上 3,300円
小学生 1,500円
当日券 各券の500円増

※予約受付時の整理番号順にご案内します。
※受付開始は開演の60分前、開場は開演の20分前です。
※上演予定時間は約65分です。(休憩なし)
※開演時間を過ぎてからのご入場は、案内できかねる場合がございます。

◆会場
調布市せんがわ劇場
〒182-0002 調布市仙川町1-21-5  tel:03-3300-0611
※京王線仙川駅より徒歩4分
※京王線新宿駅より快速で20分、各駅停車で25分

◆チケット予約
(PC)https://ticket.corich.jp/apply/21346/
(mobile)http://ticket.corich.jp/apply/21346/


◆お問合せ
SAI Inc.
tel:03-3385-2919  fax:03-3319-3178
e-mail:ticket2010@pappa-tara.com

小池博史インタビュー

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発行・H island編集 大久保有花