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小池博史ミュージックコレクションの中から選択した曲もしくはアーティストについてのエッセイ。
単なる音楽批評ではなく、情景をも喚起させる、演出家ならではの考察。
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『音楽の情景またはレコード棚の記憶から』
vol.42 17枚組のジャクリーヌ
先日、17枚組のジャクリーヌ・デュプレCDボックスをネットで購入した。
ボックスセットはなんとなく得した気分になって今までに何度も購入してきている。が、こんなに17枚組なんて大量のセットを買ったのは初めてで、これまで一番大きなCDボックスセットは、たぶんジャンゴ・ラインハルトの10枚組ボックスだったと思う。
そもそもボックスセットというのは、「・・・コンプリート集」とか、「・・・全録音」とか、完全版的なニュアンスに惹かれ、お得感を求めて買うのであって、当然、駄作も少しはあるだろうことは承知の上である。だが、その多くは、得なように見えて、あまり得じゃない。たいていのボックスは良い音源もあるけれど、ダメダメ音源も多く、結局、隅々までは聴かなくなるどころか、聴きたくなくなって、いつの間にか隅の方で埃を被ったままになる。たとえば、同じ曲を録音順に1stトラックから4thトラックまでとか、全部聴かされても、マニアじゃない限りはまず飽きがくる。大好きなジャンゴ・ラインハルトの10枚組だからと言って、ほんの少ししか違わないトラックを繰り返し聴かされたり、ヒデエ演奏を聴かされたのではたまったもんじゃない。玉も石も混じってこそ面白いと思うようなマニアじゃないのだ、僕は。玉を待つのも良いけれど、平均点くらいの音が聴きたくて聴いているのじゃない。アルバムとしての濃密な集約性が弱ければ、単なる無駄遣いでしか結局はなくなってしまう。
今年に入ってからは、それでもボックスセットを二組、購入した。ひとつはシンガポールから買ったダイナ・ワシントンの1944年〜1951年までの全吹き込み4枚組セット。それから、イギリスから購入したデュプレである。どちらも自分で輸入した形で購入している。これが安いんだ。ときどき日本とは比較にならないくらい安いCDやボックスセットが海外では出るのである。ダイナは、うろ覚えだが送料込みで約1,350円、4枚セット。デュプレに至っては、送料込み約2,500円の17枚組である。もちろん円高、ポンド安の影響は大である。デュプレの日本アマゾンでは4,500円くらいで売っていたから、この17枚組2,500円というのは驚異的安さで、驚きのあまり購入してしまったという、非常に貧乏くさい話なのである。だって、一枚あたり150円しないのだ。
何ともしみったれたせこい話で申し訳ないが、今年の二つのボックスセットはどちらも珍しく玉石混淆ではなく、玉だらけで、それはそれは素晴らしく安い買い物となったのだった。アーティストとして、同じような立場にいる者がこういうことを言っていいのだろうか?と思いつつも、しかし、買うとなると懐具合と秤にかけねばならないから、懐に優しいのは良いことではある。とは言え、これはあくまでも複製が効くCDだからできていることであって、複製の効かない舞台芸術などではあり得ないことだ。あり得るとすれば助成金がたっぷり出ているとか、何らかの手だてがないと難しいとだけは言っておきたい。
さてダイナ・ワシントンに関して。彼女の事は昔、この欄でも書いたことがあったので細かくは省く。が、本当に素晴らしい。僕の人生で最も好きな歌手は、今はダイナと言い切ってもいい。ただ、年齢の変化に連れて、変わってきたりするものだから、今後とも変わらないとは限らない。ダイナの歌は力に溢れ、その力が生命の根幹に響いてくるようなあっけらかんとしたすごみに溢れるのである。これは実に素敵なことだ。たとえば大歌手、美空ひばり。まったく「あっけらかん」としていない。明るい曲を歌っても、全然明るさを感じない。ビリー・ホリデーは心底揺さぶられるが、重苦しさに押しつぶされそうになってしまったりする。エラ・フィッツジェラルドやサラ・ボーンは少々テクニックが鼻につく。それがまったくない。ダイナはどんなに悲しい歌を歌ってもなぜかしら希望の灯が灯っている。これは何だろう?不思議な感覚である。持って生まれた資質なのか、彼女の幼少の頃の何かがそうさせたのか?どうなんだろう。幼少の頃、と書いたのは、若かりし頃の録音を聴いても同じく、非常にカラリとして晴れ渡っているからだ。悲しみを喜びに変える魔術を若いときから持ってしまった運命を生きている。
ジャクリーヌ・デュプレは、正直言って、僕はほとんど知らなかった。名前くらいは聞いたことがあったが、それだけのことで、別に特別聴きたいとも思っていなかった。ところが、ブラームスのチェロソナタが聴きたくて、ネット購入をもくろみ探していると、たまたまジャクリーヌの演奏視聴に出会ったのだった。45秒ずつ聴いた。驚いた。その音がかかった瞬間、ビックリして、天井に頭をぶつけてしまうくらい飛び上がりそうになったのだった。なんだこれは!!!である。こんなことはそうそうあるものじゃない。こんな凄い女性演奏家がいたのか、そして若くして難病に罹り、指が動かなくなったことも知った。もちろん難病と演奏は関係ないが、そうした悲劇は彼女を一種の神がかったポジションへと高めてしまったことも事実だろう。だが、そんなことはまったく関係なく、その音は僕の身体をわしづかみにしたのだった。そこで、このCDを一枚購入しようと考え、少し調べてみると、EMIで録音したものの全曲集が出ているというではないか。それも17枚組、さらに調べていくと、アマゾンでもイギリスアマゾンが16ポンド程度、それに送料が3ポンド弱、しめて19ポンド弱で17枚組が手に入り、かつ、ブラームスチェロソナタもまったく同じ録音が入っているし、ブラームスのチェロソナタだけのCDだって2000円くらいはするわけだから、こりゃあしめたものとばかりに購入し、その10日後には手に入れた。
さて、そんなこんなでここのところ毎日喜んで聴いているが、全部は聴き通せてはいない。しかし、やっぱりジャクリーヌには感嘆させられる。エルガー、ブラームス、ベートーベン、シューベルト、ドボルザーク、シューマン、チャイコフスキー、ハイドン、バッハ・・・・なんせ17枚組で、一枚あたり70分以上もあるのだから、そんなに簡単には聴けないのである。聴けないけれど、一音一音に得も言われぬ妙なる力が含まれている。そうだ、これなんだなあ、と思う。これが芸術なんだ。これは技術を含有しつつ、技術を超えなければこの力は出てはこない。ここだ。このポイントをいかに超えられるかである、と打ち震えながら思うのである。
アートの感動とはそういうものだろう。技術を超える力。技術を超えて響き出す心の躍動。それを情報で分析してみたところで何の意味も持たない。
僕は、まったくクラシックファンではない。いや、こういう言い方は誤解を招こう。クラシックも音楽であって、膨大な世界中の音楽の中にあって、特殊で、特別優れたものなんかじゃないと思っている。しかし、だからと言って、クラシック音楽をダメと感じているわけでもない。これはこれで素晴らしい頂点を迎えんと突き進んできた音楽だろうと思う。こうしてジャクリーヌの演奏を聴いたりすると、本当にその素晴らしさに、心は躍りまくる。ああ、なんて人は美しいのだろうと思う。なんでこんなに素晴らしいものを生み出せるのだろうと感じる。人への希望がわいてくる。
こういう音楽を聴けば、やはり僕が行っている事の意味や役割は何であるかを知ることにもなる。改めてアートは人はこんなことまでできる、ここまで行ける、そして希望の灯火をともすことができる、と思うのである。
人はまだまだ捨てたもんじゃない、と思うのだ。
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小池博史撮り下ろしフォト作品より。
空間に対する独自の視点と鋭い反射神経で、瞬間を捉える才能を発揮。優れたスナップシューターと評価されている。
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* 奄美大島シリーズ
〜 森編 〜
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発行・H island編集 大久保有花
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