今月の表紙 アニマルシリーズ『ニューヨークの犬』 Photo:Hiroshi KOIKE
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『音楽の情景または
レコード棚の記憶から』

F ザッパを求めて



『ニューヨークシリーズ』
〜 横断歩道編 〜

小池博史ミュージックコレクションの中から選択した曲もしくはアーティストについてのエッセイ。 単なる音楽批評ではなく、情景をも喚起させる、演出家ならではの考察。

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『音楽の情景またはレコード棚の記憶から』 vol.46

F ザッパを求めて

 昔々、パパ・タラフマラを始めた時から6年間くらい一緒に、全作品で活動をしていた巨匠と呼ばれた男がいた。パパ・タラフマラの初期のチラシデザインは全部、彼の手になり、3回に2回くらいは舞台の美術デザイン、製作も行っていた。その上、パフォーマーまでやり、八面六臂の活躍で、パフォーマーとしては奇怪な雰囲気を全身にまとい、常にトリックスター、スパイス的な役割を果たし、小さな身体からは想像ができないほど声がでかく、狭い場所だろうが、公共の場所だろうが、お構いなく大声で堂々と、清々しく喋っていた男であった。はじめの頃はまだ武蔵野美術大学の学生で初々しかったが、その後は本格的にデザイナーとして一本立ちして、パパ・タラフマラからは離れていった。一種の特殊能力の持ち主で、何年何月何日何時になにがあったか、ということを事細かく覚えており、その手の質問をすると、指を一本立て、首をちょっと傾げ、少し斜に構えて得意げに、それは何年何月何日何曜日何時にどんな状況で起こった出来事であったか、というような事を特定して回答してくるような人物であるがゆえに、かどうかはわからないが、時間はかなり厳格な男であった。

 タラフマラ設立から二年後に、はじめは美術の手伝いで入ってきて、その後、美術チーフになり、かつ、パフォーマーとしては次第に頭角を現した松島誠(以下、マコト)とはまるで違うタイプであった。松島はアイデアは面白いし、味のあるものを作るのだけれど、時間にはきわめてルーズで、当然、同じ美術をも担当していたパフォーマー、巨匠とマコトでは水と油みたいなもの。時間をきっちり守りつつ構築していく巨匠に対し、良く言えば自由奔放、マコトは対局に位置する存在であった。

 三つ子の魂百までというのは正しい、と最近しみじみと思う事が多くなってはいる。が、それでも人間は変わりうるのだ、いろいろな過程を経て、変化していくものだと、一種の人生航路を見続けることができるのも、僕のような仕事をしている醍醐味であって、マコトは良い具合に変遷を重ねてきた。あのマコトちゃんが・・・、みたいな、どうも親になったような気分がときどき噴出するのである。一方、巨匠は風貌から好みまで、ほとんど変わっていない感じがある。最近は会っていないが、数年前に最後に会った時はそうだった。ちょっと皺が増えたくらいであった。

 その巨匠、梅村昇司君は昔から大のロックファンであり、音楽おたくであった。そのおたく的雰囲気は風貌からも強烈に漂い、年を取らない顔相であったが、もう30年近くも前の僕は音楽と言えばジャズ、ジャズ、ジャズ・・ジャズと映画と舞台と暗闇の日々で、いっつも闇の中であったから、全然、巨匠と趣味が一致していたわけではない。けれど、6年も一緒に舞台をやっていのは、向いているベクトルは違ったけれど、どこかしら同根の部分があったのだろうと思っている。互いにない部分を面白がっていたのだろう。
 その巨匠。昔から大のフランク・ザッパファンであった。そして思いあまって、ザッパに直接掛け合いまでして、今ではザッパCDデザインをほとんど請け負うまでになっている。とは言え、ザッパ自身17年前には死んでしまっているので、日本発のCDに限る?(詳しくは知らない)とは言え、人の一念とはすごいものだと思うのである。

 その巨匠にザッパ音楽を紹介して、と頼んだことがある。もう25年くらい前の事だ。そのときに彼は嬉々として、テープ8本くらいにダビングして持ってきてくれたのだった。そのダビングテープの総称は、‘フランク・ザッパ家庭音楽全集’。それが’アヴァンギャルドでGO GO編’とか’ときめきの60年代instruments編’などと分かれている。要するに彼自身の手になるザッパ愛に溢れたザッパ・コンピレーション・アルバム集で、よってどのレコードからダビングしてくれたのかはわからない、すべては巨匠の思いのままのコンピ集なんである。(あの頃はCDなんてのはまだなかったのである)具体的にはよくは知らないのだが、そのザッパ熱に打たれまくり、いやはやおみそれ致しました、ハハーッと平身低頭したくなるような素晴らしき選集であったのである。

 そんなザッパだったので、聴きまくったのか?いやいや、やっぱり心から面白いと思わないものは聴けなかったのである。巨匠にすなまいと思っていたから、そのテープは捨てられずに未だ持っている。持っているが経年劣化が激しく、全体にくぐもった音。CDに慣れた耳には、あまりに酷く、時々ヨレてフニャフニャになった音が出てきたりもするから、ただの記念品に今ではなっている。それでもその当時を偲びつつ、たまに音を出してやったりしているカセットテープなんである。
 ただ、その中の数曲は惚れ込んだ。繰り返し繰り返し聴いた曲もあった。全体に言えば、面白いところもあるけれど、どうにもザッパはとりとめなくて、巨匠の意気込み対しては、申し訳ないがやっぱり当時はファンにはなれない音楽家であったのである。
 そういう経過を持つ音楽家であっただけに、CDが出るようになってから数枚は購入してみた。ザッパを知ろうと努力したのだった。だが、努力の甲斐空しく、なかなかファンにはなれず、巨匠には申し訳なく思ってきた。

 しかしながら、そう5~6年前くらいからだろうか。ザッパが気になりだしたのであった。ザッパの何かを聴いて、面白いと思ったのではなく、ザッパがむくむくと私の体内に芽生えてきたのだ。ザッパが熟成して、私の体内でやっと発芽時期を迎えたと言ってもよい。巨匠が20歳くらいで感激していたザッパに私がやっとのことで追いついたと言えるかもしれない。それでも私はそのとき、ザッパ音楽を聴き返さなかった。ザッパが勝手に膨れていくのを待っていた。
 ザッパは混沌である。雑多な音楽が混沌と混じり合い、そしてロック化しているのがザッパ音楽である。混沌と言っても、基本はアメリカ音楽の混沌であるから、どうしても、僕には僕自身の中でのブルースの消化を待たねばならなかったのではないか、という気がする。明確にはわからないが、ザッパが聞こえて来、かつ、ザッパがむくむくと首をもたげてきたタイミングはまさに、僕がブルースを面白いと思い出した時期と一致する。

 ブルースと言えば、オールマンブラザースバンドとか、ローリングストーンズなどなどをはじめとして、60年代、70年代に始めたロックバンドの多くはブルースの影響を強く受けていたし、影響を受けていないバンドの方がずっと少数派と言えるのではないか。よくは知らないけどね。白人たちによる無い物ねだりではないが、白人が音楽面では黒人のリズムや深さや強靱さに憧れて、ブルースこそ我が命、みたいな白人ロック野郎がたくさん排出していったのである。もちろん日本だって同じだ。これらのバンドも僕は好きだったけれど、でも、それはロックありきの、その奥底にあるスパイス的ブルースセンスであって、ブルース色が強くなってくるとダメだったのである。

 ところがブルースを本気で面白いと思うようになり、黒人音楽の奥深さ、泥臭さをじっくりと味わえるようになってくると共に、ザッパが幻聴のように鳴り出したのであった。しかし、ザッパはブルースだけではない。さまざまな音楽の集合体としてあって、その一体どこにルーツがあるかなどほとんど意味をなさないと感じられる。まあ、一般的には現代音楽とR&Bと言われるのだけれど、そもそもからこういう人はそういう範囲には収まらない感覚を持っているものである。ごった煮万歳!ギュインギュインとエレキギターを弾きつつも、現代音楽風感覚もたっぷり入った、混沌のロック的音楽。要は何だって良いのである。けれども、やはりその深部も深部、奥深いところには、やっぱりブルースが潜んでいるように思うんである。そのブルースの上に、現代音楽やさまざまなロックやジャズ、ラップ、R&Bが乗っかって、次々と変化するものだから、取り留めがない。しかし、その取り留めがないなんて感じるのはこっちの勝手で、ザッパはザッパ道を行っているだけだ。だから、清々しくもある。清々しい混沌なのである。

 最近では、ときどき音楽家との打ち合わせ時に、ザッパのような、という文言を使っている自分に気づくことも多い。いつの間にか、ザッパが染み付いて離れなくなってしまっているようである。
 ザッパって言葉もなんとも良い響きである。オオザッパな印象もあるが、実に緻密だ。緻密ザッパだ。
 これからたぶん僕の中でザッパは大きくなっていくことはあっても、小さくなることはないだろう。

 ザッパは52歳で前立腺ガンで死んでいる。あの髭を生やした面長の顔が消えていくことはない。顔は人だとつくづく思う。あの狂気と理性が混じり合った顔は、ひょうきんに飄々とした混沌があって恥部だらけのようで楽しい。まじめなだけじゃ面白くねえ、だけどただのグチャグチャじゃあますますつまんねえ、なあ、そうは思わねえかいって言われている気がするなあ。
 そんなザッパ、そうですねえ、まずは以下のような一枚はいかが?もう35年くらい前のアルバムですが。

 ONE SIZE FITS ALL

 まあ、これ一枚で人生は少しは豊かになった気にはなれるでしょう。

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小池博史撮り下ろしフォト作品より。
空間に対する独自の視点と鋭い反射神経で、瞬間を捉える才能を発揮。優れたスナップシューターと評価されている。

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九州アート車座会議 Ver.波佐見
スペシャルゲストとして参加!



 九州各地ならびに近隣で独自の活動に取り組むアート関係者が集まり、今後の連携の可能性やそのあり方を考える会議に、スペシャルゲストとして小池博史が参加します。

■2011年4月2日(土)14:00〜
■場所:長崎県波佐見町 ギャラリーmonne porte
■ 入場無料
■スケジュール
第一部 14:00〜 うち自慢大会(各団体紹介)
第二部 15:00〜 よそ自慢大会(ほめごろし系大合戦)
第三部 16:30〜 特設ステージ〜九州アートゲートについて〜

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パパ・タラフマラ 公式サイト

小池博史 公式サイト
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発行・H island編集 大久保有花